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「FMXで上を向いてほしい」FMX×広野町のイベントに込めた思い

9月19日、福島県浜通りの広野町の二ツ沼総合公園で、「広野スタイル2026」がおこなわれました。主催は広野町役場で、サッカー体験、ボルダリング、雑貨や飲食など地域の出店が並ぶなか、ひときわ目を引くのがFMX(フリースタイルモトクロス)ショーです。今年で11回目を迎えた同イベントではFMXショーがおこなわれています。バイクに縁のない方でも、家族連れで一日を過ごせる町のお祭りの中心にFMXがあるのはなぜなのでしょうか。ダートフリークのサポートライダーであり、広野町の夢大使を務めるFMXライダーの鈴木DAICE大助氏(以下:DAICE氏)と、イベントを担ってきた町役場の職員のみなさんにその背景を聞きました。

魚沼市の復興から広野町の夢大使に

そもそも、DAICE氏が広野町の夢大使になったきっかけは何だったのでしょうか。始まりは20年以上前、2004年の中越地震のあと、新潟県魚沼市の復興だと話します。

鈴木DAICE大助氏

「20年以上前に新潟県の魚沼市で中越地震があって、その次の年に魚沼市の鉄工所のおじさんとバイクつながりで知り合ったんです。震災によって建てたばかりの家が傾いてしまい、落ち込んでいた姿を見て、FMXで少しでも盛り上げることができたらいいよねと話していました。そこで魚沼市に、チャリティーでFMXショーをやらせてもらえませんかとかけ合いました。FMXショーでは、観客は空を飛んでいるバイクを見る、つまり自然と上を見上げるんですよね。震災で気持ちが落ち込んでいたり、下を向いている人たちに上を見上げさせたい、そんな思いでの提案でした。そうしたら『ぜひぜひ』と言っていただいて、魚沼国際雪合戦大会という大きなイベントでFMXショーを行いました」

イベントはその後も、毎年続けられました。

「場所は変えつつ、いろいろありながらも10年続けました。魚沼の役場の人たちと仲良くなりながら関わっていて、10年経ったときに復興宣言というものが出たんです。そこで、10年間町民の人たちを元気づけてくれた、ということで僕も表彰いただいて、魚沼国際親善大使になったんです」

そこからさらに年月を経て、DAICE氏は広野町の夢大使に就任します。そのきっかけになったのが、魚沼での活動でした。

「魚沼のイベントにもよくスタッフとして来てくれていた方の奥さんのお兄さんが広野町役場に勤めていて、僕が参加する福島や新潟でのイベントも見に来てくれていたんです。そして東日本大震災のあと、魚沼で10年間復興に関わった僕に、広野町の復興にあたってFMXショーをお願いしたいという話をいただき、広野町の夢大使になりました。福島県には、鮫川村にモトパーク森というコースがあって、日本のFMXの聖地みたいになっていたんです。そこで僕もFMXを始めてすぐ福島に引っ越して10年以上住んでいたので、馴染みのある土地なんです。声をかけてもらってから去年(2025年)で10年だったんですけど、まだ止まらず続いています。『みんな、下を向かずに上を見ようよ』というコンセプトで、やり続けています」

FMXショー後にはサイン会が行われ、長蛇の列ができていました

夢大使に就任してからも広野スタイルに出演を続け、イベントは今年で11回目を迎えました。夢大使としての活動は、本番のステージだけではありません。広野スタイルの前日には、児童館の小学生や高齢の福祉施設の利用者を対象に、フォトセッションやショーをおこなうなど、地域との交流も深めています。

広野町がFMXを選んだ理由

写真左:佐藤さん、写真左から2番目:猪狩さん、写真右:久保田さん

なぜ、広野町はFMXを選んだのでしょうか。イベントの立ち上げに携わった久保田さん、農業振興課の佐藤さん、そして現在イベント担当である政策企画課の猪狩さんにお話を聞きました。

はじめは久保田さんとFMXの出会いだったといいます。

「義理の弟がFMXライダーで、鮫川村のイベントで初めてFMXを見て、こんなすごいものがあるんだと一気にどハマりしました。これを広野町でもいつかやりたいよねという話を、当時職員同士でしていたんです」(久保田さん)

また、佐藤さんも別の場所でFMXに出会っていました。

「千葉で開かれたレッドブルのエアレースの会場でFMXショーがあって、たまたま見てその凄さに魅了されました。久保田さんの話もあって、絶対に広野でやりましょうとなりました。実際、その頃は震災の影響で若い人があまり町に来てくれない時期でした。どうしたら若い人たちが広野に足を運んでくれるか。放射線の影響で、避難している若い方が戻ってくるのをためらっている方もいたので、そういうのを払拭するために、インパクトのあるイベントを見にきてもらおうと職場で話し合いました」

行政のイベントとしてFMXを取り入れる。これまでにない取り組みゆえに、不安や葛藤もありました。

「初めての取り組みだったので、イベントを行うまでにいろんな壁がありました。ただ、当時の上司がすごく理解のある方で、『やってみろ』と背中を押してくれて、なんとか1回目を開催することができました」

実際に1回目を迎えると、大きな手応えを感じたといいます。

「第1回の会場でFMXショーを行った時、若い人だけでなく、高齢の人たちも声を出して、腕を上げていたんです。その光景を見て、これは1回で終わらせちゃダメだと思いました。2回、3回と続けて今年で11回目。意思をつないでくれている後輩のおかげもあり、続いていると思います」

広野スタイル2026では、夢大使委嘱式も行われました

DAICE氏の夢大使の任命も発案したのは職員の方々でした。

「FMXと行政の関わりが全国にあるのかを調べる中で、魚沼市がDAICE氏を大使に任命していることを知りました。震災があってから、どうしても目線が下を向くんです。ただ、FMXって、空を見上げるじゃないですか。さらに、DAICE氏自身も熱量のある方で、よく『顔を上げていこうよ』と言ってくれるんです。その思いに共感して、夢大使になっていただきました。DAICE氏の生き様が、地域の方、さらには子どもたちに伝わればいいなと思います」

なお、猪狩さんはイベントの担当になって今年で4年目。行政のイベントで、参加者が叫ぶほど盛り上がることはなかなかないそうです。

「この盛り上がりが行政のイベントで作れた、先輩たちとDAICE氏たちのパワーがすごいなと思います。FMXは技が成功するかヒヤッとしつつも、引きつけられるような魅力があって、先輩たちが始めてくれたこのイベントを、少なくとも自分は続けたいし、自分がいる限りは続けたいと思っています」

大盛り上がりのステージと広野スタイルのこれから

第1回こそFMXを知っている人が少ない中での開催でしたが、開催を続けていくことで少しずつ観客が増えていきました。会場は海のすぐ横にあるため風が強く、冬に開催していた頃は、2回ほど強風で設営ができず中止になったこともあります。試行錯誤の中で続けてきた「広野スタイル」は、今年も広野町での生き方や価値観、挑戦を「Style」として紹介するというテーマを掲げ、さらにアップデートされた演出が会場を彩りました。

ショーは1日に2回おこなわれました。会場は、子どもから大人、お年寄りまでが手を挙げ、声をあげて盛り上がりました。さらに2回目のステージでは、去年から続いて、広野昇龍太鼓・和太鼓グループ彩の皆さんとのコラボステージがおこなわれました。

さらに、今年初の試みとして、今回はバイクの後ろに花火をつけてライダーが技を披露する演出もありました。

「今回は日本の現役FMXライダーでバックフリップができる5人揃いました。せっかくなら観客の方々に楽しんでもらえるアイデアをと、火の演出を思いつきました。それぞれのトリックやバックフリップをしながら、火が円を描いて、実際に打ち上げられた花火のように見えたらいいなと」(DAICE氏)

実際に5人が次々と花火のように舞う演出に、会場の熱気も高まりました。さらに、DAICE氏は今回初めて電動バイクで出演。DAICE氏は、これからも新しいステージを考え続けていきます。

「結局僕らがやれることって、楽しんでもらう時間を作ることだったり、元気になってもらうことで、日常に1個でも楽しいことがプラスされればいいなというのがモチベーションです。自分はすぐ飽きてしまう性格なので、新しいことを次々やっていきたいとずっと思っています。アイデアは無限にあるので、これからさらに盛り上げていけるよう、新しいことをやり続けていきたいです。絶対下を向かせない、くらいの強い気持ちでいたいですね」(DAICE氏)

「上を向いてほしい」というという思いで続いてきた「広野スタイル」。来年は広野町の空にどんなライダーたちが舞い、どんな演出で会場を沸かせてくれるのか、楽しみにしたいと思います。

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アニマルハウス

世界でも稀な「オフロードバイクで生きていく」会社アニマルハウス。林道ツーリング、モトクロス、エンデューロ、ラリー、みんな大好物です。

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